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東日本大震災の被災地、「女川」に行って感じたこと。【宮城】

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はい、こんにちは。

今回も東日本縦断の続きを書いていきます。

 

同じゲストハウスの人たちと朝の5時までボーリングをして、カーテンが閉まった薄暗いドミトリーの部屋に戻ると、1人の客が大きないびきをかいて寝ていた。

その人を起こさないように、きしむ二段ベッドの上にゆっくりと登り、自分も寝床につく。

朝の11時頃、隣の人が荷物をまとめている音で目を覚ました。

iPhoneの時計を見ると、チェックアウトの時間ギリギリだ。

自分も急いで荷物をまとめて、バックパックに詰め込む。

それを背負って一階のリビングルームに行くと、昨日一緒にボーリングをした人がトーストにジャムを塗って食べている。

どうやらゲストハウスが無料で朝食を提供してくれるらしい。

スタッフの方に、自分も食べていいかと聞くと快く「いいですよ」と答えてくれた。

トースターで二枚の食パンを焼き、いちごとオレンジのジャムを付けて口にほうばる。

そして、ズズッとインスタントコーヒーを飲むと、起きたばかりの体がポカポカ温まってきた。

少しお尻が沈みすぎるソファーに座って外を眺めると、太陽の光が燦々と降り注いでいる。

なんて清々しい朝なんだろう。

昨日は飲みすぎたはずなのに、気持ち悪さが一切ない。

まだこのゲストハウスを離れたくないと思ってしまう。

 

「仙台の近くでおすすめの場所はありますか?」

最後にスタッフの方に訪ねてみると、

「被災地の方にはもう行かれましたか?」

と、返事が帰ってくる。

そういえばまだ一度も行っていなかった。

東日本大震災が発生してから随分と時間がたったが、どこか他人事のように感じてしまっていて、今回の旅でも行く予定はなかった。

「当時はどのような状況だったんですか?」

と聞くと、被災していた当時の悲惨な状況や恐怖を、余すことなく教えてくれた。

最後の方は、感情が込み上げてきたのか、スタッフの方も少し涙ぐんでしまい、声も震えていたのがとても印象に残っている。

それは、東日本大震災がいかに甚大なものだったかを、物語っているようでもあった。

「このまま被災地を素通りできない。」

そう思い、今日は石巻と女川に行くことにした。

 

石巻については、こちらの記事に書いているので、少略させて頂く。

himatabi1.hatenablog.com

 

石巻を見た後、電車に乗って女川に行った。

ホームに降りて改札を抜けると、真新しい駅舎が私を迎えてくれた。

周りが木の板で覆われており、とても雰囲気のある駅舎だ。

駅の外に出るとすぐに、これまた真新しい商店街のような通りが、目の前に現れる。

そこにはお土産屋さんがあったり、お食事処があったりとかなり活気がある。

駅から商店街までの道には、街灯から街灯へと結ばれた紐に、一匹づつ繋がれた鯉のぼりが、気持ちよさそうに風になびかれて泳いでいる。

石巻と違って、すべてが真新しく映った。

でもきっとそれは、全てが津波に流されてしまったという事も、意味しているのだろう。

ふと、右の高台にある病院に目をやると、横断幕がフェンスに掛かっていた。

それにはこう書かれている。

「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。」

それを見て、決して災害に屈することなく、戦い続ける覚悟を感じ取ることができた。

高台に登って、病院の入口に着くと、建物の柱に「2011年3月11日津波到達高」と書かれているのを見つけた。

とてもじゃないが、すぐにそれを信じることはできなかった。

この病院は、駅から登ってきて、かなりの高さがある。

津波はこんな高さまで飲み込んでしまうものなのか。

絶句してしまった。

こんなのどうやって逃げろというのだろうか。

病院の横には「津波記憶石」という石碑が建てられていた。

それにはこう書かれていた。

 【千年後の命を守るために。

  ここは津波が到達した地点です。

  もし大きな地震が起きたら、この石碑より上へ逃げて下さい。

  逃げない人がいても、ここまで無理矢理にでも連れ出して下さい。

  家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めて下さい。

                          女川中学校卒業生】

これからの未来、もう一度同じ津波が来たって不思議ではない、その時に一人でも多くの命を救いたい、そんな思いが綴られていた。

病院がある高台から階段を下って、一つしたの所に行くと、大量の花束が手向けられている場所があった。

そこにはメッセージなどが沢山書かれていて、見ていて自然と涙がこぼれてきてしまった。

静かに目を瞑って、手を合わせる。

「来るのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。」

そんな言葉が頭に浮かんだ。

東日本大震災をどこか他人事に思ってしまっていた自分が、急に恥ずかしく思えた。

自分にも何かできることはあったんじゃないか。

同じ日本人として、やるべきことがあったのではないか。

自責の念に駆られた。

 

私はさらに高台を下って行き、海と同じ高さのところまで来た。

まだ海沿いの方は工事をしている。

女川は、堤防を作らずに高台を作り、海と共存する未来を選んだ。

この先もまだまだ工事は続くのだろう。

しばらく海の近くを歩いていると、大きな工場が見えてきた。

前の看板を見ると、「MASKAR」と書かれている。

後で調べてみると、カタールが資金援助をしてくれた大型施設で、復興に向けた大きなのろしになっているらしい。

本当に有り難い話だ。

もちろんカタールだけではなく、様々な国が日本を助けてくれたのは言うまでもない。

日本も他の国が困っている時は、全力で助けてあげれる国であって欲しいと願うばかりだ。

 

もう日も暮れてきて、夕陽が眩しい。

お腹も空いて来たので、女川でとれた新鮮なさんまを食べることにした。

商店街にある定食屋に入って、サンマの塩焼きを注文。

身にしっかりと脂が乗っていて、とても美味しい。

私はもっと沢山の観光客が女川に来て、まだ来たことがない人たちに女川の素晴らしさを伝えて欲しいと思った。

募金はもちろん復興支援になるが、実際にその土地に足を運んで、その土地の美味しいものを食べ、その土地の人の話を聞くのが、被災地復興には大事なのかもしれない。

そして、自分が何を感じたのかを身近な友達や家族に話してあげるのが一番の復興支援になると私は考えている。

その流れが続けば、きっと復興はもっと早く進むだろう。

「必ずもう一度来よう。」

まだ風が冷たい女川で、私はそう思った。

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